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東京地方裁判所 昭和38年(合わ)9号 判決

本籍 東京都○○区○○○丁目○○番地

住居 同都○○区○○○○丁目○番地○○○方

会社役員 甲野花子

昭和五年七月三一日生

右の者に対する殺人被告事件につき、当裁判所は、検察官本田啓昌および同武並公良出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役三年に処する。

但し、この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事項)

被告人は、陸軍主計大佐×××、母×の長女として生れ、昭和二四年三月私立××高等女学校を卒業後××銀行本店審査部に勧めたこともあつたが、語学で身を立てるため同年九月頃日本通訳検定学校に入学し、そのかたわら○○○○バレー研究所の門下生としてバレーのレツスンを続け、同所を通じフアツシヨン・モデルのアルバイトもするようになつて間もない昭和二七年春頃、友人から、当時○○県○○○郡○○○町で呉服商等を営んでいた甲野○○の養子で、早稲田大学を卒業し、時折養家先の商品仕入れのため上京していた甲野太郎(仮名)(大正一〇年四月一一日生)を紹介され、交際するうち、同人から結婚の申し出を受けたけれども、同人には別居中の妻のいることや、結婚すれば○○へ引き込まなければならないことを思い、当初はその申し入れを拒絶していたが、別居中の妻との間に子供がないことや養家とのいさかい等その不遇な家庭生活を知らされて同情するとともに、太郎の熱意に動かされて昭和二八年二月頃身を許し、爾来太郎が上京するたびに逢瀬を楽しむ仲となり、同年夏頃には家族の反対を押し切り家を出て太郎と都内のアパートで同棲生活をはじめ、その後しばらくして東京都○○区○○町○番地にアパート○○荘を建て甲野物産株式会社なる名称で太郎の営むアパート管理の手助けをするようになり、昭和三〇年頃長女M(昭和三〇年九月二日生)の妊娠中に母親の許しを得て晴れの結婚式を挙げ、正式に入籍されたのち、翌三一年頃○区○○○丁目○○番地に住宅及びアパートを建築して移転し、同年九月四日には次女Kも生れ、経済的には恵まれた家庭生活を営んでいた。

しかし、女性関係に放縦な太郎は、被告人が長女を妊娠した頃から、すでに離別したはずの先妻A子とひそかに再度の関係をもつようになり、○○の自宅にまで出入りさせたほか、相手をかまわず、被告人の元いた職場の同僚、学友等数名の女性とも通ずるという事態に至り、勝気な被告人として、これを黙視することはその自尊心が許さず、ために、しばしば太郎との間にいさかいを生じ、果ては太郎に殴る蹴る等の暴行を受け入院までする始末で、特に三女C(昭和三三年六月二二日生)の妊娠八ヵ月目頃には女性のことから腹部をふんだり蹴つたりされ、それがもとで離婚を考えたこともあつたが、子供のことや世間体を考えて思い直し、しだいに諦らめの念を抱くようになつていたところ、同年秋頃から翌三四年一月頃にかけ三、四ヵ月間、青年実業家の集りである日本青年会議所の代表として太郎に付き添い、夫婦ともども、アメリカ・ミネアポリスでの国際会議に出席し、ヨーロツパ各地も見学するに及び、この海外旅行によつて新たな感覚を身につけ、帰国後は積極的に、事業ばかりでなく、更に自己の趣味などにも力を注ぐようになつて、家を留守にすることが多く、被告人に対し古風にひたすら家庭的な従順さを要求する太郎とは真正面から意見が衝突し、また太郎の前記のようなふしだらな女性関係が夫婦間の烈しい葛藤の原因となつて、被告人の母親も子供の世話と被告人の身を案じ同居するようになつたが、太郎の素行は一向に修さまらず、堪りかねた被告人は、同年六月上旬頃太郎の暴力、女性関係、思想、趣味および性格の相違を理由に家庭裁判所へ離婚の調停申立をし、これに対し太郎よりも同月中旬頃夫婦関係調整の申立をしたが、太郎にはその後も何ら反省の色がなく、かえつて人妻、デパートの女店員あるいはキヤバレーの女給等と次ぎ次ぎに関係をもつに至り、その女性関係はますます乱脈を極め、その態度を汚らわしく感じた被告人は昭和三五年頃からは遂いに太郎と寝室を別にするようになつたが、翌三六年五月頃入社した秘書のB子(当時二〇才位)と太郎がただならぬ仲となつて会社内でそれが表面化し、あまつさえ、同年九月下旬頃には被告人が太郎に階段からつき落されるなど夫婦仲は一層険悪となり、太郎がBに会社の預金通帳や印鑑の保管を託し食事や身の廻りの世話までさせるようになつたため、被告人とBとの間にも複雑な対立関係を生じ、他の社員達の同情は得たものの、冷い空気が家庭はもとより会社の内部にもただように至り、太郎の実父が上京した折には、被告人自身も若い男子社員Sに好意を寄せているかのような態度を示すなど、被告人と太郎との間は、ただ名ばかりの夫婦というに過ぎない状態になつた。

時、あたかも昭和三七年一月六日三女Cが病死したため、被告人は悲嘆の涙に日日を過し、遺書まで書き綴るようになつたが、六月下旬頃には前年設立した同族会社の甲野土地建物株式会社で一億円近い詐欺被害にかかつていたことが判明し、その事業面での失敗が強く太郎を痛めつけ、その頃から同人の被告人に対する乱暴は次第に狂気を帯びるに至り、一〇月中旬頃には被告人がBの件を注意したことから太郎に足首をつかまれ逆吊りにされ、頭部や胸部等を殴打されたため六週間の加療を要する右肋骨骨折の怪我をさせられて接骨院等で治療を受け、そのことや社員の扱いに関し既に退職していたSが短刀をちらつかせて太郎に談じこむという一幕などもあつて夫婦の対立は深刻化し、また、その頃太郎から、洋行後間もなくアメリカの知人から送られた散弾装填済のレミントン製ポンプ式五連発散弾銃(昭和三八年押第二九三号の五―以下猟銃という―)を目の前に投げつけられたり、銃口を向けられたりして、「ぶち殺す」などと脅かされるようになつたので、堪りかねて昭和三七年一一月頃○○巡査派出所に電話連絡し、出向いた警察官に猟銃の保管方を依頼したが、係官が猟銃の操作を知らなかつたため弾丸の抜きとりもできず、その指示により被告人が猟銃をキツチンの梯子の上部にある天袋内等に隠してみたが、すぐ太郎に責められて取り戻されるというようなことが何回かくりかえされ、同月下旬頃にはまたもや太郎に殴打されて顔面、右上膊部等に怪我をさせられるに及び、翌一二月初旬頃母親のEの出稽古先である同都○○区○○○町○○番地Y方の一室に猟銃を隠したが、以後連日のように太郎から猟銃を出すよう迫られ、その様子のただならぬことに不安を抱いた被告人の母親が、同月一八日から三日間被告人を右○○○町の一室に泊らせた程で、同月二一日の子供達のクリスマス・パーテイにも太郎が朝から被告人に猟銃を出すようしつこくつきまとい、同夜には来客がいるのに猟銃の定期検査があるという口実で激しくこれを迫り、母親も根負けする程太郎の猟銃に対する執着心は異常なまでの様相を呈するに至つた。

右のような太郎の狂気じみた態度に恐れを抱いた被告人は、翌二二日昼過ぎ頃二人の子供を連れて前記Y方の一室に出向いたが、長女の発熱によりやむなく同日午後三時三〇分頃一旦自宅に戻り、その後女子社員を連れてデパートへ歳暮の買物に赴き、午後八時三〇分頃帰宅したところ、折柄応接室で飲酒していた太郎から早く猟銃を出すように詰め寄られたが、折よく母親が来合せたため、医者を呼びに行くとの口実を設けて戸外に出たのち、近くの楽局で頭痛楽を買い自宅玄関先でこれを母親に手渡したのみで、太郎から猟銃のことで責めたてられるのを苦にして中には入らず、Y方に行くべきかそれとも車の中で夜を明かそうかと思い悩みながら国電○○駅附近をさまよい歩いたのち、思案にくれて午後一〇時頃○○○○巡査派出所に立ち寄つたところ、猟銃の定期検査はないことを知らされたので、一応自宅に引き返したものの、応接間に太郎がまだ起きている気配を感じ、やはり猟銃を出さなくては帰宅も困難であろうと考え、自家用車を運転して午後一〇時三〇分頃前記Y方に到り、同所に隠しておいた猟銃を持ち出してはみたが、そのまま猟銃を太郎に渡す気にもなれず、あちこちと車を走らせて考えあぐんだ末、午後一一時四〇分頃自宅に戻り、玄関入口の植込の蔭に猟銃を隠し置いて家の中に入つたところ、太郎に追われ二階子供部屋で「アマなめるな、銃を出せ。」と怒鳴られて腰部等を足蹴にされる等の暴行を受けたため入浴後に猟銃を出す旨約束してしまい、太郎が「出さなければ他の銃を買つてきてぶち殺す。」旨おどし文句を並べて浴室に入つた隙に、猟銃を室内に持ちこんでキツチンの前記天袋内に素早く隠し、太郎と交替に被告人も入浴して時間を稼ぎ、翌二三日の午前零時三〇分頃太郎の機嫌をとろうとして洋酒をすすめたが、太郎に「猟銃を早く出せ。」と怒鳴られ、キツチンに下つて牛乳を飲みかけたところ、大声で応接間に呼びつけられ、「アマ猟銃を出せ、人を馬鹿にするな。」等叫びながら形相を変えて迫る太郎に、「冷静になつたら出します。猟銃の定期検査があるというのは嘘でしよう。」などと返答をした途端、口惜しがつた太郎が両掌を握りしめ前屈みの姿勢で襲いかかつてきたので、このままでは猟銃を探し出されて射殺されるような恐怖に駆られて気も動転し、猟銃を戸外に投げ棄てて逃げようと考え、急いでキツチンのドアを閉め、梯子を昇り、天袋に隠して置いた猟銃を手にとつて降りかけた際、ガウンを太郎につかまれたような感じがしたため、夢中で隣室の暗い事務室内に駆け込んだところ、その場にあつた物に体をぶちつけたため、あわてて西側ドアから外に出ようと試みたけれどもドアが開かず、逃げ場を失つて後をふり向いた瞬間、太郎が荒ら荒らしく数メートル先のキツチンと事務室間のドアを開け、血相を変えその形相も物凄く今にも被告人につかみかかるような態勢で追い迫つてくるのを認め、恐怖と狼狽のあまり太郎の暴行から我が身を守るため、とつさに殺意を抱き、防衛の範囲を越え、折柄手にしていた散弾装填中の前記猟銃の銃口をその一・五ないし二メートル先の太郎に向け発射して散弾塊を同人の左胸部附近に命中させ、よつて同人を散弾射創による心臓および左肺臓の損傷に基づく失血により即死させて殺害したが、右犯行当時被告人は心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目) ≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第一九九条に該当するところ、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであるから、同法第三九条第二項第六九条、第六八条第三号により、所定刑中有期懲役刑を選択したうえ、法律上の減軽をなすべく、情状について考えると、本件は上流に属する家庭で、女性関係に無軌道で何かといえばすぐ暴力に訴える夫と勝気で自尊心も強く派手好みの妻とが長期間に及ぶいさかいの挙句、遂いに夫が妻に猟銃で射殺されるに至つたという特異な事案であるが、夫たる被害者に責められるべき点が多多あるとはいいながら、相当の教養を積み、恋愛によつて結ばれ、度重なる苦汁を嘗めたとはいうものの、共に洋行までして人の羨むような仲であつたものであり、本件を惹起した今日でもなおかつ夫に対する愛情は失つていなかつたと供述している程の被告人としては、かかる破局に立ち至るまでには、求めさえすれば必らずや他に採るべき方法があつたはずであり、被告人にも妻としての態度に多少欠けるところがあつたこととあわせ、このような手段で軽卒にも尊い人の命を一瞬にして奪い去つた点を抽出して考えると、被告人の罪責は決して軽少とはいえない。しかしながら、判示によつても明らかなとおり、本件犯行を招くに至つた直接、間接の原因は被害者側に数多く介在し、被害者の被告人に対する暴行は夫婦喧嘩の域をはるかに逸脱した狂気の沙汰であり、特に猟銃のことでは予ねて太郎に悩まされ、それについては一度ならず警察官に相談し、その指示を受けて不慮の事態の発生を避けようと努力していたことが明らかであり、また、前示認定のとおり本件が過剰防衛行為でかつ本件犯行当時被告人が心神耗弱の状態にあつたこと、しかも、その心神耗弱の状態に至らせた主たる原因は被害者にあつたこと、なおこれまで被告人は事業や子供の教育面でもかなりの力を注ぎ、対外的には夫のよき協力者であり、対内的には子供のよき母親であつたこと、夫からは人格を無視され、妻の座を他の女性に奪われるような状態に置かれながらも、よく子供のため忍従の日を送つて来たこと、現在二人の子女を抱え母親を思い、健康にもすぐれぬほか、本件犯行については罪業の深さを反省して悔悟の情を示し、カソリツクの信者として懺悔の日日を送つていること等被告人に有利な事情が多く、これ等一切の事情を考量すれば、被告人に対してはこの際実刑をもつて臨むよりは、寧しろ相当期間その刑の執行を猶予し、家庭にあつて亡き夫の冥福を祈りつつ子供のため、母親のため、再出発の途につかせるのが相当と認められるので、その刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により、全部被告人をしてこれを負担せしむべきものとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(一)、被告人の本件所為は、無意識的ないし反射的行為に基づくものであつて刑法上の評価の対象となるべき「行為」に該当しない、(二)、仮りに刑法上の行為であるとしても、本件犯行時において被告人には殺意はもとより暴行の犯意すらなかつたものである、(三)、たとえば殺意が認められるとしても、被告人は太郎から生命、身体に危害を加えられるような緊迫した状態に追いこまれ、身を守るためやむを得ず猟銃を発射したものであるから正当防衛行為である、(四)、被告人は外傷性神経症に加重する恐怖症にとりつかれていたところ、本件犯行時には更に恐怖の極限下に置かれ、自己の行為についての社会的是非善悪の弁識判断の機能を喪失し、法律にいう心神喪失状態にあつた、(五)、また、当時の附随的事情上、被告人に対しては他に適法な行為に出ることを期待することは不可能で、いわゆる期待可能性が存在しなかつた、からいずれも犯罪の成立要件等を欠き被告人は無罪である、かりに以上の諸主張を容れられない場合でも、本件については過失致死罪、過剰防衛、心神耗弱の諸点が考慮されてしかるべきである旨主張するので、順次これらについての当裁判所の判断を示せば左のとおりである。

(一)、被告人の本件犯行時における心理状態について、先ず前掲鑑定人土井正徳作成の鑑定書(以下土井鑑定書という)および同人の当公判廷における供述(以下土井供述という)を検討すると、「猟銃を発射するその瞬間の暴発反応時には知覚、認識が欠如ないし喪失していたものと推定され、その一瞬の状況は睡眠中の寝返りと相似のものと考え得る」旨の供述がある反面、「暴発反応時の事実の認識には完全欠如又は部分的欠如の二様がある、(本件において)猟銃を相手に向けて発射するという全般の事実の知覚、認識および判断が明確にあつたとは推定し得ない、暴発反応は生理的現象とのみは考えられず、反射運動と評価するのも問題で、反射的な運動とでも表現できる」旨の供述や、「被告人は外傷性神経症に加重する恐怖症に罹つていたところ、犯行当時には更に追跡恐怖におびえ危機反応の一種である暴発反応に及んだもので、逃避の恐怖および暴発反応の極限には記銘の完全欠如を惹起することがあり、本件犯行前の恐怖および暴発反応の状況からすると、その当時の記銘はいわゆる普通の状態に比べて著しく劣つていたものと推定され、特に猟銃の持ち方や引金を引く行動に対する記銘は、当時被告人の狭隘な意識野の中心部を占拠する恐怖の情緒のはるか縁辺領域に辺在していた」旨の記載(土井鑑定書一六三~一六六丁)もあつて、これ等を統一、全体的に考察すれば、同鑑定人も被告人の本件犯行時の行為を意識の介在ならびに記銘の全く欠如した運動であるとまでは判断していないというべく、なお、後記の本件犯行前後における被告人の認識、行動ならびに猟銃の構造等をあわせ考えると、被告人の本件所為が刑法上の行為に該当することは否定できないところである。

(二)、被告人は、当公判廷では「夢中で銃をにぎりしめているうち、銃声がして夫が倒れてしまつたものである」旨供述して殺意を否認しているところ、当時被告人が強い恐怖感に襲われていたことは諸般の証拠によつて認められること既に説示したとおりであるけれども、被告人の当公判廷における供述および司法警察員に対する昭和三七年一二月二三日付供述調書(この調書は、被告人が当公判廷で自ら自分の気持をありのまま記載してくれたと述べているものである。)だけを採りあげても、被告人は(1)猟銃の銃床の部分を手につかんで事務室に逃げ込みドアを開けようとしたこと、(2)マラソンのような前屈みの姿勢で殺気だつた太郎がキツチンから事務室に入ろうと迫つてきたこと、(3)事務室から外の通路に出るドアが開かなかつたこと、(4)それで後方を振りかえつたとき太郎はキツチンからの入口のところで、すごい形相をし、飛びかかるようにして立つていたこと、(5)そのためにうろたえたこと、(6)銃声のとしたとき銃口は上を向いていたような感じであつたこと、(7)太郎の身体から血がほとぼしるのを見たこと、(8)太郎はすぐにひつくりかえらず、恐しかつたが見ていると、よろけるようにして倒れたこと等の諸事実を知覚認識し、これを把持し、かつ追想していること、また事件直後母親を通じて警察に連絡し、警察官が来るときのサイレンにまで気をつかいながら、被害者の救護措置には全然思いを致していないことが認められ、判示のような被告人と被害者の関係および猟銃に実弾が装填されていることは充分承知していたこと、散弾の射入部位、射入角度(鑑定人船尾忠孝作成の鑑定書参照)等の事情ならびに前記(一)で考察した被告人の意識の清明度および記銘能力をも考慮すれば、被告人が周章狼狽した結果、瞬間的な銃の持ち方、引金に手をかけたことにつき、意識の表面において認識することがなく、後日これを追想することが困難であつたとしても、猟銃を被害者に向けて発射し殺害することの全体的な認識は、いわゆる「意識の深層ないし縁辺」において存在していたものというに妨げなく、被告人に殺意のあつたことは充分認定でき、なお、犯行時に太郎ともみ合いになつた形跡も全くないことを合わせ考えると、本件につき過失致死罪を問題とすべき余地はないものというべきである。

(三)、被告人は、当公判廷で事件当時の気持として、太郎から殺されるのではないかと思つた旨供述しているところ、判示のとおり、被告人は太郎から度重なる暴行、特に猟銃を投げつけられ、銃口を向けられ、また、「銃でぶち殺す」旨おどかされるなどして猟銃に対し強い恐怖心を抱き、事件当夜も太郎から判示のような暴行を受け、更に事務室にまで追いつめられるに至つたもので、従来の太郎の態度からして犯行当時、被告人の身体に対する太郎の不法な侵害行為が現在し、これに対する被告人の防衛意思のあつたことは認められるが、二人は夫婦の間柄であつて、太郎の手許に猟銃があつた時期においてさえ、猟銃はただおどしの意味で用いられたに止まり、事件当夜特に他の場合に比し太郎が荒れ狂つたとみるべき証拠もなく、犯行直前の現場の状況に鑑みるときは、本件では未だ被告人の「生命」に対する侵害行為が現在するまでには至らなかつたものというべく、たとえ、被告人が生命に対する危険を感じたとしても、それは自己が現に把持している猟銃を、太郎に取り上げられたうえ、それで射殺されるのではなかろうか、ということであり、かかる場合には猟銃を事務室の片隅に捨てて隙をうかがい逃げるとか、大声で二階の母親を呼ぶとか、更には威嚇射撃ないしはせめて太郎の生命に危険のない他の身体部位に対し射撃するなど他にとり得る有効適切な手段があるのに、そのいずれをもなさないで、こと、直ちに本件所為に及んだものであつて、自己の生命、身体を防衛するため「已むなくとつた行為」でないことが明らかであるから、これをもつて正当防衛とみることは到底できないが、本件は、判示のとおり、強度の恐怖、狼狽に基づく過剰防衛行為とはみるのが相当である。

(四)、本件犯行当時、被告人が知覚、認識を全く欠いていたものでなかつたことは(一)に述べたとおりであり、犯行前後の認識および行動の面では合理的に説明できる状態にあつたことも判示および(二)に示したとおりであつて(土井供述によれば発射直後の瞬間には自己の全体行為に対する思考機能があつたとされている)、本件犯行当時の精神状態につき「社会的是非善悪の弁識判断の機能を喪失した状態に該当するものではないが、その弁識判断に従つて自己の社会的行動を抑制する機能はいわゆる普通の状態を喪失している状態の範疇に属する」旨の土井鑑定書の記載(一五五~一六四丁)とあわせ考えると、被告人は本件犯行当時未だ心神喪失の状態にまでは立ち至つていなかつたものといわなければならないけれども、被告人が事件の数ヵ月前から睡眠も充分とれない状態におち入り、かつ当夜は月経の直前で(被告人の当公判廷における供述、医師小川忠人作成の診断書参照)、猟銃をめぐりあれこれ思い悩み自殺することまで考え(被告人の司法警察員に対する昭和三七年一二月二五日付供述調書参照)、また、判示のように猟銃を手にしてからもしばし戸外をさ迷つていたこと等から窺われるとおり、精神的にかなり不安定な状態におかれていたことのほか、(一)ないし(三)の諸事情を考慮すれば土井鑑定書および土井供述により認められる外傷性神経症に加重する恐怖症にかかつていた被告人の本件犯行当時の精神状態は、強度の恐怖、緊迫状態に追いこまれたことにより一時的に社会的是非善悪の判断に従つて行動する能力に著しく減弱をきたしていたものと認めるのが相当である。

(五)、いわゆる期待可能性のないことが、刑法上責任阻却事由にあたるものとしても、判示の犯行に至るまでの経過および(三)で述べたとおり、被告人が被害者を猟銃で射殺する以外に他の適法な行為をとることができなかつたような外部的、附随的事情は存在しなかつたことを考えると、本件については、何らこの期待可能性に欠けるところはないものというべきである。

以上の理由により、被告人の本件所為は無罪又は過失致死罪である旨の弁護人の主張は、いずれも採用することができない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竜岡資久 裁判官 太田浩 裁判官 松本光雄)

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